フランス人と結婚しました。

交通事故に遭い脳損傷者となった「私」の社会復帰、海外生活の実情を語ります。

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Posted by MGB

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面談のあと、夢占う





第二回目の面談。
後遺症持ちの私が働くとなると、「起業」しかないと。
新たな担当者もそのことには意義はなく、次回は事業計画書の提出、立ち上げ専門家との打ち合わせ。早速、具体化していくそうだ。
※どさくさに紛れてアルバイトをみつけたので挑戦予定!

2時間の面談を終えた私は水中リハビリへ。
気がつけば小さなゲットーがあちらこちらに散見する移民の浜で、スカーフを巻いていないアラブ系の女性が服のまま泳ぎ始めた光景に驚いた(フランスではやっぱり異様に映ってしまう)。
方や宗教的な理由から服で(長ズボン、長袖)海に入り、方やトップレスのご婦人がいるかと思えば、アフリカ系のお色気むんむんTバック。あんな格好でいたらと思ったら案の定、早速ナンパされて、ジェットスキーのお兄さんと地平線に向かってどこかへ行ってしまった。唇はおそらくヒアルロン酸を注入し過ぎたたらこで(どうみても不自然)、それをあろうことか、真っ赤に塗りたくっている。これでもかといわんばかりに、たらこからまだはみ出して。

夫の迎えが遅延したこともあって、裕に半日は海に。
リハビリを終えたあとも楽しくて、ひとりで海辺で満喫していた。が、予想以上に日焼けをしたらしく、その疲れで午前3時半に覚醒してしまった。飲食店にふらり入ってきた汚物のような臭いを放つ薄汚れた少女に「出て行け」と。敵意むき出しの少女は「あなたと私が違う世界の人間とでも思っているんでしょう?」と薄ら笑いを浮かべながら、私の左横腹を刺しに近づいてきた。で、ぐさり。血は見ていない。

あまりにリアルな夢だったので、夢占いとやらを調べてみた。
俗っぽさに自嘲の笑みを浮かべながら。
でも、私が返事をすればアルバイトもみつかった。
仕事も支援者が着々と準備をすすめまとめてくれているので、当たっているかも?
と思うことにする。





夢占い「刺される夢」

貴方の転換期が訪れることをあらわす夢です。
そしてその刺した人が貴方の後押しをしてくれる人です。
良き協力者、理解者、支援者が現れあなたを飛躍への道に連れて行ってくれるでしょう。
どのような人物か判別できない場合はあなた自身の力で大きな転換期に向かって行くことのあらわれかもしれません。


夢占い「刃物で刺される夢」

①問題が解決する前兆の夢です。
困難な状態にいた人程、事態がどんどん解消され、運気も上昇していく暗示です。

②恋愛面での好調さもあらわしています。
新しい愛の気づき、一生のパートナーとの出会いなどの経験をすることにより、今迄とは別の世界が展開されていくという予兆です。

③人生が大逆転するような経験をするでしょう。
吉兆として解釈します。
成功、充実、豊かさ、富、経済力、めぐまれた環境、幸運、喜び事、解決、解消、クリア・・・などをあらわしています。





だそうな(笑)。

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この世界こそ現実だとしたら?




“ 例の治療 ” をはじめてからぐっすり眠れる日が増えた。
そして、毎日の楽しみになったのは夢見。登場人物はみな知り合いなのに、その展開の仕方が意表を突いていて、意味深だったりしてあかなか面白い。

昨日は夢の中で興奮していたのに、覚醒と同時に内容も登場人物も忘れてしまった。
ただひとつだけ覚えている台詞があって、「この世界こそが現実だとしたらどう思う?」と私がだれかに謎かけしたのか、それともだれかとの会話で尋ねられたのかはわからない。

昨日、新刊の「風の旅人」を注文したとき、私はなぜだろうと自問した。
かぜたび舎の編集長や藤原書店を愛してやまない理由について。だれがみても文章の上手な人、心に響く言葉、それほどでもないのに人気を集めているブログなど、いまは書き手ばかりで世の中溢れている。私が好むものはとてもシンプルで、正直さが文章に滲み出ているもの。ぶれないもの。世の中とはなにかを問い続ける姿勢、それなのに文章が重いだけではなく美しく、言葉が本来の言葉の意味をもつものなど。

好むものがあればその逆も然りで、苦手なものといえば、本来の言葉の意味を歪めているもの。
性質が悪いと思っているのは、もの知り顔をした思い込みはもはや手の付けようがない、と。あとはどんなものがあるだろうかと考えていたら、いくつかの顔が浮かんだ。語彙の豊富さから「この人はおりこうさんなのだろう」と読み手へのアピールを計算し尽くしているのに、難しい話などだれが読むものかと、今風の、運やお金をいかに引き寄せるのかという話題をふんだんに混ぜ込んで、“ そうした人たち ”を巻きこんでいく手法はしたたかだ。もちろん、ご商売のために。

新たなビジネスモデルだと、ある意味感心しながら傍観しているのだが、放射能のことも自衛権の話も日本の危機も世界の現実も一切登場しないのは、達観とはわけが違う。政治の話をすれば、それっぽく語るのがいいというものではないけれど、なんだろう、欲を晒すことが別段特別ではない社会に変質していることに驚くのだろうか、私。

「この世界こそが現実だとしたらどう思う?」
夢の中で浮遊していると、どこまでが現実でどこまでが夢であるかの境界の曖昧さに気付く。私たちは覚醒しているから真実をみているつもりになっているだけで、それはご存知のとおり、つもりであるだけだ。商売には慈悲さなど必要ないのかもしれないが、前者と後者ではこころの色付けが違い過ぎる。それを巧みに利用するのが、国や大企業。現実逃避癖のある人を騙すのは朝飯前という構図は、ある人たちの ” 伝統 ” なのだろうが。



国に寄生する詐欺師たち




国というものは一体、だれの、なんのためにあるのでしょうか。
最高裁の鬼丸裁判長が、大学の職員について、業務災害休業中でも、労基法上の打切補償を払えば、解雇制限がはずれる、というとんでもない判決を出したそうです。

こうなるともう、上にはたて突くな、という脅迫にも受け取れます。無恥厚顔のくずが蔓延っているせいで、まともな国民があっというまに生活困窮者に陥れられてしまうのです。ふうん、と他人事として聞き流せる余裕のある人などどれくらいいるのでしょうか。私は大企業犯罪、国家犯罪と闘っている中で、ふと考えるのです。有りえる仮説として。

私が以前勤務していたゼネコンでは、裏金は常識でした。
この会社は最終的に民事再生法によって救済されるわけですが、当時は小泉政権、りそな銀行なども関与し、裏金をめぐって取引のある銀行、大企業、官僚などのどろどろとした人間模様を目撃してきました。もとは個人が興した工務店からのスタート、それなのにいつの間にか国土交通省からの天下りのひとつに。会長などいくつかのポジションは、彼らのために用意されるのです。

会社の存続が危ぶまれたとき、社員たちの動揺といったらありませんでした。
それなのに、民事再生法による救済策が決定したあとは、週明けの月曜日から会社経費での飲み会が繰り広げられる始末。昼食代も自腹で支払っている人をみたことがありません。そこで考えるのですが、この会社が行っていたように、私に支払うべき補償金、立て替えてある数百万円の医療費などを、“ 支払ったこと” にし、「だれかの懐」にすでに渡っているかもしれないと。そうすることで、裏金は正々堂々、着服できるのです。だからでしょうか、交通事故処理が11年目に突入したいまも、解決の見通しがつかない理由は。解決できないのは無理もありません。そうしたクズたちの犯罪が白日のもとに晒されるわけですから。

むろん、国は自衛隊海外派兵によって脳損傷者が今後増加していくことをすでに承知しています。脳損傷という疾患は、治療法はおろか治療薬もありません。一生治らなない不治の後遺症障害です。私のような被災者の増加を見込みながら、国は上記に記したとおり、業務災害休業中でも、労基法上の打切補償を払えば、解雇制限がはずれる、というとんでもない判決を出しているのです。

私自身、まさか自分が棄民扱いされるなど想像しませんでした。過去、厚生省が関与した犯罪は皆が知るところです。が、国、大企業含め、責任をとった人、組織は日本にあるのでしょうか。以前勤務していたゼネコンを知るだけに、クズたちの卑怯さは筋金入りですから。


※それを後押しする鬼丸裁判長とは、労災再審査の機関=労働保険審査会の委員でもありました。この審査会の委員は毎月95万円もらって、95%棄却するという人たちです。
これが日本の現状です。同根の問題のためにも、私は諦めません。

一部、軽度外傷性脳損傷友の会事務局長の記事を引用しております。


『シャルリ・エブド』襲撃事件は、なぜ起きたか




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藤原書店の「機 2015 5 No.278」が届いた。
フランス人作家の著書が多いのも楽しみのひとつで、そこに石牟礼さんの新刊「泣きなが原」の紹介も。

あの熱狂はなんであったのか。
最近はめっきり話題にする人も見かけなくなったのだが、叫んでいた人たちの声は嗄れてしまったのだろうか。フランス関連(2チャンネル)掲示板にはしごくまっとうな指摘が目立ち、私が抱き続けている違和感が綴られていた。平和的な解決をうたいながら、だれよりも攻撃的なシャルリ派への分析。フランスと言っても、そこにはフランス国籍よりも出自が意味を持つ。その声が滑稽に聞こえたのはどうも私だけではなさそうだ。





「機」P6 より引用、仏 EHESS教授・社会学者 F・コスロカバール

― なぜ四〇〇万人デモのような強い反応が起きたのか。

民主主義の根幹にある表現の自由に関わるだけではない。むしろ、フランスという国が、いかに徹底して脱宗教化・世俗化した社会であるかの裏返しでもある。この国はあらゆる宗教の介入を徹底して嫌い、警戒する。その根源はフランス革命にさかのぼる。ライシテ(政教分離)といわれる原理であり、ライシテ原理主義者といえる者さえいる。デモに参加したとはいえ、『エブド』誌の風刺画はやりすぎたと思ったフランス人が少なくなかった。だが、宗教の名で人を殺す権利はだれにもないと断固考えている。

事件はその意味で、学校教育を始め、フランス人が国民として頭に刷り込まれた脱宗教の観念にグサリと突き刺さったのだ。背景にあったのは、

①フランス人は革命以来、学校教育で宗教の介入を許さないという観念を刷り込まれている
②イスラムという異質なものへの反応


もし仏極右組織が同じ事件を起こしていたら、あれほどの反応は起きなかっただろう。

③犯人は大都市郊外育ちのフランス人イスラム教徒の若者。
それに対し、「お前は国を裏切った」という気持ちを掻き立てた。移民子弟の犯人に教育を与え、一定の生活を保障したのはフランス。育ててくれた国に対し、何たる恩知らずの行為か、と怒りにかられた


④フランス人が我々の社会は大丈夫か、という不安に襲われた。
自分たちは外(国外)だけではなく、内(国内)に敵を抱えているのだ、と認識させられた衝撃の深さではないか。



― では、フランスはどんな処方箋をもつべきか。

イスラム系住民の若い世代に起きる急進化という問題の解決に努力したとしても、最低二〇年はかかるだろう。いつかは解決できるかもしれない。しかし、真剣に取り組んだとしても長く厳しい闘いになる。彼らが生きている大都市郊外(バンリュー)のゲットー化を破壊し、イスラム教徒家族が集中して住むような現在のシステムを変える必要がある。イスラム教徒子弟が九〇%で、いわゆる白人フランス人子弟が数えるほどしかいない初中等教育の現場で、革命以来の共和主義を教えるだけでリアリティがあるのだろうか。新任教員はそんな環境下で、生徒が攻撃的な上に秩序もなく、権威を信用しない中でとまどい、絶望している。教育現場に矛盾が噴出している。(全文は『環』61号に掲載)





私はここに日常生活での小さな積み重ねが加わるのではないかと考えている。
それは一見些細な罅割なのだけど、毎日のことなのでいずれ我慢の限界を超えるような。そこに移民である日本人が加わる場合、社会参加の意味を見出すような。フランス社会に認められるには、あの移民たちとの差異を明確にする必要に迫られるのではないだろうか。それが意識的無意識どちらにしろ、厳しいまなざしを向けられないために。シャルリへの是非はそれこそ個人の自由なのだろうが、自分の腹底を他にみる行為であると自覚している人はおそらく叫ばない。
いや、叫べない。


自然の懐に分け入って





サン② サン



疲れきっている夫とは対照的な私は、リハビリによって軽くなった体が嬉しくはしゃいでいた。
水中リハビリのために指定された場所はロスチャイルドの別荘がある高級住宅地、サン=ジャン=カップ=フェラのプライベートビーチ。ホテルかとみまちがう豪邸が建ちならび、富裕層と庶民が混在する我が村とは漂う空気までが違っていた。場違いな私はどこかそわそわとして落ち着かないのだが、絶景を眺めながら行うリハビリにすっかり魅了されてしまった。

さんさんと降り注ぐ南仏の強い太陽をあびながら、顔馴染と他愛ない会話を楽しみ、フランス語を教わり、焼き立てのクロワッサンを頬張る贅沢な朝。今日は金曜日、マルシェの賑わいを眺めているだけでなんとも幸せな気持ちに包まれる。お目当てのヴェロニカに会えなかったのは残念だったけど、子供を亡くした友達に偶然会えたのはよかった。

自然の懐に分け入って、海でリハビリをした日は夜空に浮かぶ金色の月を眺め楽しんでいる。
ニース空港から飛び立つ深夜便が星の瞬きの中に溶け込んでいくさまをいつまでも。
飽きずに深夜遅くまで。


起筆 「理解」 をテーマに




天候に左右されるわけでもなく、 ”ソトに出なければ” と思うのは私の悪い癖だ。
だれかになにかを言われるわけではないのだが、1日を家で過ごすことが許せない理由は自分でもよくわかっている。いつ磔の刑になるとも知れぬ身の上であるのも一因なのだろうし、1日のはじまりをカフェで過ごしてきた日常をここでも継続できているとの自己満足、フランス語に耳馴れる訓練、なによりソトの風に吹かれながらいただく朝食は格別なのだ。かつてパン嫌いだった私がクロワッサンを求めてソトを目指すなど、端倪すべからぬこと。
人は変わるという見本がここにある。

マルシェがない平日の朝、カフェに集うのは現役をとうに卒業した白髪の紳士淑女。
その連れの孫、あるいは、私のように無職である者が数人混じる。

頁をめくるのは領家高子さんの「一葉舟」。
と同時に、ぺんを走らせ次号提出するのエッセイを組みたてていく。
今回のテーマは 「理解とはなにか?」 がベースにあるのだが、後遺症、病気を抱えた者たちの視点を織り交ぜつつ、理解と無理解の間にはなにが存在しているのかを書きたくなったのだ。

たとえば同じ後遺症を抱えていたとしても、必ずしも共感できるとは限らない。
障害名や病名の相違となれば、理解の枠を越え別世界となる。それと同じように、「ママ友」 「在仏+日本人」 「同僚」 「国際結婚」でも何でもいいのだが、わずかに点がかすること以外になんの接点もない者たちについても、同じことが言えると私は考えている。そんなわかりきったことをいまさらわざわざエッセイのテーマに取り上げなくても、と思う一方で、わかりきったことだから盲点となっている部分を書きたくなったのだ。他者と自分との非類似事項に対して 「違う」 と言わずにはいられない人たちについて、あえて掘り下げてみたくなってしまった。この1年、各方面から 「違う」 と言われる対象になりやすかったことで、自分と他者の 「違う」 を考えざるをえなかったのは言うまでもないのだが。

「理解」 とは言うほど容易ではないなど一定の人たちからすれば常識なのだろう。
が、そこに到着するしない、いいや、到着できるできないと言った方がより言いたいことに近い気がするのは、個人的な問題を内包しているそれらを棚上げした上で、自分の投影をソトにみて、「違う」 との声に私は ” なぜ?” との反応をし続けてきたからだろう。他者との違いに我慢ならない人たちがいる。自分の意見、特に反論や批判を主張する際は、それを他者の耳へ届ける場合には最低限の言い方があると私は思っているのだが、想像以上に日本語が崩壊している現実を最近知って、敬語が使えない人の多さ(彼らはいい大人です)に驚愕したのも記憶に新しい。

車椅子を利用する人たちに向かって、歩け、走れとは普通は言わない。
なぜ言わないか、から説明の必要な人たちがいる。
それをあえて取り上げたのは、弱者への取扱いをみればその国が、社会が浮き彫りになるというある人との会話がヒントになった。

”ソトに出なければ” と思う私の悪い癖と、テーマに据えた 「理解」 が無縁ではない。
「理解」 と連呼すると、私はまるで他者の理解を希求していると誤解されそうなのだが、驚くことにその逆なのだ。期待を挟まない外国人という立場での ”ソト” はある意味快適だ。
クロワッサンを頬張りながら、かく、書く、カク。


夢見、亡き祖母との語らい




私たちが学び、または情報といわれるものから ”知っている” うちのどれほどが ”真実” なのだろうか。 歴史、健康にまつわるあれこれは、その序章に過ぎないのだろうが。

祖母が「久しぶりだね」と言って夢に出てきたのは数日前のこと。
新しい疼痛治療のおかげで快眠の恩恵に与りながら、不思議な夢をみるようになった。いままで眠っていた脳細胞が活性化でもしているのだろうか。

「思いだしてごらんなさい」と祖母。
曾祖母のとらのは子宝に恵まれなかったのだが、成人した祖母を養女に迎え跡継ぎにした。その祖母は10人の子宝に恵まれ、もう子供はいらないと言って最後に産んだ末娘は40もとうに過ぎた高齢出産だった。あの頃、不自然が入り込んだのは戦争に引きずり込むための不穏な空気。貧農の祖母が住む村でも例外ではなかったと聞いたが、” 〇〇しなければならない” と強制され、煽るものが本当にそうであるかは、私たちひとりひとりが考えなければね、と祖母が言うのだ。為政者が目論む、またはそれによって多数が流される方向へ傾くのではなくて、なにかに不服従する威勢なんかとも違って、自分の目を見開いて、自分のこころに、体の声に正直に。

夫がごそごそとするのは起床の合図。
ボレ(フランスの雨戸)の隙間からうららかな陽が寝室に射し込んでくる。
朝がやってきた。

妊婦に摂取を推奨されるサプリなども登場し、 ”いいもの” として出回っている。
有名人が高齢出産をするからといって、一般人は真似するのは危険だと某新聞社の医療コラムで書かれる時代。嘘も書き続ければ、嘘だと見抜ける人がペテン扱いされかねない世相となった。

豊かさとはなにを指すのだろうかと私は常日頃考えずにはいられないのだが、たとえば空を見上げ、飛行機雲をみて「ラッキー、今日はいいことがある!」とジンクスを信じている人に、「あれはケムトレイユ(真偽はともかく)」と言ったところで話が通じないのが私たちの住むに世界の常。それを世間では ”洗脳” というのだそうだが、洗脳されているとも知らず、気付けず、わかったような口をきくのに限って、自分の人生を取り上げられているなど考えられないのは気の毒ね、と祖母は結んだ。


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